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プロフィール

はじめまして。

Basketball Medical Support Lab(BMSL)の管理人です。

当ブログを訪問して頂き、誠にありがとうございます!

このページでは、

・管理人プロフィール

・バスケとの関わり(経験してきたケガ、理学療法士を目指した理由など)

について紹介していきます。

管理人プロフィール

性別:男性 

年齢:30代前半

身長/体重:180cm/68kg

性格:スラムダンクキャラクター診断では「赤木剛憲」でした…

職業:理学療法士 [所有資格:理学療法士、NSCA・CSCS、BLS]

趣味:アウトドア(登山・キャンプ・BBQ)

好きな漫画・アニメ:スラムダンク、ハンターハンター、JOJOの奇妙な冒険など

好きな映画:Fight Club、羊たちの沈黙、LEONなど

好きなスポーツ:バスケ、野球、フットサル

その他:一児の父。

バスケとの関わり

ここから先は少々長くなりますので、興味のある方はどうぞ。(笑)

私自身も、かつては全国大会優勝、2番目の日本人NBA選手を目指し、日々バスケに明け暮れていた選手の一人でした。

バスケットを始めたのは小学校3年生の頃。

年上の友人からの誘いで地域ミニバスチームに入り、そこから高校卒業までバリバリのバスケットマンでした。

今思えば決して上手いほうではなかったと思いますが、それなりの身体能力と、それなりに頑張る姿勢が評価されたのか、試合にはよく出させてもらっていました。

最高成績は高校時代の関東大会出場です。

とても充実したバスケライフを送っていたと思いますが、正直に言えば、良い思い出ばかりではありません。

競技をしていた方にはわかると思いますが、レベルが上がるほど、

「自分には敵わない…」

と肌で感じるような選手と対峙するようになります。

ミニバスから高校まで、どの世代でもそれなりの挫折(今思えば大した挫折ではないですが…)を経験しました。

当時から、「同じ年なのに、この差ってなんだろう…」と考えていたことを思い出します。

自分は天才ではなかった…

この事実に気づいたのは中学校2年生のことでしたね…笑

それまでは、身体能力(走る、跳ぶ、投げる等)でほとんど負けたことがなかったので、自分は天才で、NBAに行けると信じていました。

しかし、同学年の身体的な発育によって縮まる差や、県大会などで出会う、いわゆる怪物たちを目の当たりにすることで、

「自分はそっち側じゃないんだ…」

と、少しずつ理解するようになりました。

ただ、まだ子どもだったので、自分のような凡人の生きる道を探すこともできず、天才のふりをして日々がむしゃらにバスケに没頭していました。

今でも、当時から天才ではない自分と向き合い、身体的な準備を行っていれば、NBAにはいけなくとも、もう少し上のレベルを経験できたのではないかと思うことはあります。

経験してきたケガ

私が感じてきた挫折の要因には、ケガ痛みの存在があります。

もっと練習したい、頑張りたい、上手くなりたいのに、痛い…。

当時は、痛みを我慢して乗り越えることが上手くなることへの道だと信じていました。

いくつか紹介します。

オスグッド・シュラッター病

オスグッドは当ブログでも多く登場するスポーツ障害です。

実は、私自身もオスグットに悩まされていました。

発症したのは小学校4〜5年生だったでしょうか。

急激な身長の伸びと、上の学年に混ざってのプレーが増え、膝への負担が増加したことが一つの要因です。

当時はセルフケアなどほとんどせず、我慢するものだと考えていました。

結局、中学の部活は膝が痛いまま引退し、高校でもその後遺症のような症状をずっと抱えていました。

オスグットが身体の使い方の問題によって発症すること、それを修正することで痛みなくバスケができることを知っていれば、と心底思います。

足関節剥離骨折

これは、軽い捻挫で1週間程度練習を休み、復帰したその日に受傷したケガです。

中学時代だったかと思います。

ここでの問題は、まず最初の捻挫を「軽い捻挫」と自己判断したこと。

そして、接骨院で済ましたこと。

その後、リハビリなど行わず、自己判断で復帰したこと。

正しい治療のプログラムに沿っていれば、1〜2週で練習に混ざれていたものを、素人判断で復帰したために、結局2ヶ月程度バスケには戻れませんでした。

ギプスが外れた日、カチカチ、ガリガリになった自分の足を見て驚愕したのを覚えています。

その後も、もちろんリハビリなんてしていません。

自分で足首の可動域をそれなりに戻し、筋力を戻し、勝手に復帰しました…。

なんてもったいないことを…。

分離膝蓋骨

これは、私の生まれつきの身体的特徴の一つです。

膝蓋骨とは、膝のお皿の骨のことですが、まれにこの膝蓋骨が生まれたときから割れている(正確には癒合していない)人がいます。

私がそれでした。

分離膝蓋骨の選手は激しい運動を行うと、お皿周辺に痛みを感じることがあり、私もそれに悩まされていました。

これも今思えば身体の使い方の修正や、ケアの徹底でどうにか管理はできたとは思いますが、当時はそんなことは知らず、教えてくれる人もいませんでしたので、得意の我慢で乗り越えていました。

実は話はこれで終わらず、高校時代にルーズボールでフロアに飛び込み、この膝蓋骨を強打します。

パンパンに腫れましたが、合宿中で病院にも行かず、無理してプレーも続けました。

これはですね。むちゃくちゃ痛かったですよ…。

数週間後に限界を感じて病院に行ったところ、

もともと分離していた部分がズレた可能性があると診断されました。

モモから足首までのギプスを巻かれ、1ヶ月程度固定し、骨の癒合を待ちました。

この時はギプスを外した日からリハビリが開始され、復帰まで通うことになったのですが、

リハビリが非常に面白くなく、勝手に通うことをやめてしまいました…。

後はすべて自己判断です。痛みがあるか、動けるか、程度で復帰してしまいました。

果たして、高校部活を引退するまでにパフォーマンスは戻っていたのでしょうか。

当時は戻っている気でいましたが、もとに戻すだけではなく、上手くならなければいけない自分にとっては致命的な判断だったと今思います。

理学療法士へ

高校部活を引退し、バスケから離れた生活が始まると、客観的に自分のバスケライフを振り返る時間が増えました。

負けての引退でしたから、もっとできたとか、ああすれば良かったとか、そんなことも頭にありました。

高校3年の夏だったので、進路も決めなければならないとなり、自分は将来何がしたいのか?と考えるようになり、色々調べて出会ったのが理学療法士です。

バスケ選手のためになることをしたい。

自分がケガに悩んだから、そういう選手のサポートをしたい。

特に将来のある子どもたちに、痛いバスケを経験してほしくない。

そんな思いでした。

候補は柔道整復師やトレーナーといった職業もありましたが、大人の事情も調査して、理学療法士になると決めました。

あとは勉強。高3の夏からbe動詞をやり始めたので(笑)、自分で言うのもなんですが、相当頑張っていたと思います。

そして、センター試験を受け、無事に国公立大学の理学療法士学科に入学しました。

センター試験の結果は、奇跡的な運の良さによるものでした。(笑)

大学在学中は、大きな病気を一度経験しましたが、なんとか4年間で卒業し、理学療法士国家試験に合格。

その後、病院勤務となり様々な疾患に対するリハビリを学び、現在に至ります。

これからのこと

大きく事業を展開するつもりは今の所ありませんが、全国の選手、指導者、保護者、バスケに携わるすべての人へ、面白く、タメになる情報を発信できればと思っています。

病院で働く理学療法士として、現場に必要な医学的な知識やトレーニング方法に関する記事をはじめ、

機能解剖学的な視点でのシュート分析や理論などの記事も書いていこうと思います。